生きづらいよね人生

摂食障害と双極性障害と一緒に生きています

からっぽ

子供のころは、だれかと誕生日が一緒なことがけっこう重大なできごとだった。
クラスの中で嫌われているあの子と一緒なことを嘆いたり嫌がったり、好きな人と誕生日が一緒と知れば心の中でひそかに喜んだ。
子供のころは手に握りしめている100円でなんでも買えると思っていたし、100円玉の価値は絶大だった。

年だけ重ねた今のわたしには誰かと誕生日が一緒ということも100円玉も驚くほどの価値はない。子供のころ、自分にとって重大だったことは大人になったら重大じゃなくなるみたいだ。それが大人になるってことなのだろうか。


別に昔に戻りたいわけじゃないけれど、だれかと誕生日が一緒でうれしくなったり嫌な気持ちになったり、100円握りしめてなにが買えるか悩んだりできる心を忘れたくない。

自分で自分のことを大人になったんだとも思えないのに、社会の中ではもう立派な大人として扱われて、中の人間はただ年だけ重ねたなにもない空っぽなやつで、がんばって中身が見えないように生きている。そんなことしているから生きづらいのかもしれないな。

だれかひとりでもいいから仮面をかぶらない空っぽな自分を受け止めてくれる人がいたら
救われるのだろうか。からっぽを抱きしめてもらえるだろうか。
その空虚な孤独なだれかの心を抱きしめられる、そのからっぽを全力で肯定したい。
そんな存在になれたら、、いいな。