生きづらいよね人生

摂食障害と双極性障害と一緒に生きています

高校生のわたし

最初の記事に書いたとおり、摂食障害という病気の存在とわたしの出会いは
中学生だった。それはわたしと病気の存在がただ出会っただけの他人事だった。
自分の中に病気が入ってくるとはみじんも思っていなかった。
私の中に摂食障害が入ってきたのは高校1年生の冬ごろだったと思う。
きっかけは好きな人に裏であいつ足太いよなと言われていたことだった。
なにがその人にとってのトリガーになるかはわからない。その言葉がわたしの中に摂食障害を呼び込んだのは間違いない。
わたしのことを足が太いといった人とわたしはすぐ付き合うこととなる。ひどいことを言われても、それでも好きだった。私の心はしっかり恋をしていた。
足が太いことは自分でもなんとなく気にはなっていたことだった。コンプレックスだった。
でも、めちゃくちゃ太いわけじゃないし、まあ大丈夫くらいにはおもっていた。
それがあの言葉でわたしの意識は180度変わった。このままではいけないと思い、
毎日食べていた朝ごはんを味噌汁だけにしたり、母に作ってもらっていたお弁当も野菜だけ食べてあとは残して捨てたり飼っていた犬にあげたりしていた。
夜ご飯もごはんの量を極端に少なくしたり、少し遅く帰る日はもう食べてきたと言ったり
どうにか食べ物をとらないよう異常なくらい、自分ルールをつくっていた。
1週間ほどそんな生活をしていると体重は軽くなっていき、毎日体重計に乗ることが楽しかった。おなかの出っ張っていて嫌いだった部分も、足も少しは細くなった。
毎日高校までは40分ほど自転車をこいで登下校していたので確実に一日の消費カロリーをまかなえない食事量しかとっていなかった。さらには、陸上部にも所属していたので練習もあり、そこでも必死に動いてなんとか体重を落とそうとしていた。
痩せなきゃ!!っていうよりかは、毎日ちょっとずつ減っていく数字が楽しみだったのかもしれない。このときは42キロくらいまでで体重の減少はストップした。食べてないから当たり前なのだが、便秘に悩まされ、おなかが痛くなって母に胃腸内科へ連れていかれた。
そこで、痩せすぎですねと言われた。あまり鮮明には覚えていないが、胃腸内科へ行ったあとぐらいからは母に便秘に効くという飲む温泉に連れていってもらったり、消化にいいものを作ってもらった。母にはとても心配をかけたと思う。毎日ちゃんとお弁当も持たせて食べているはずなのにどんどん痩せていく私をみてなにを思っていたのだろう。
拒食が終わったら今度は食べたい衝動が抑えられなくなった。持ち合わせているわずかなお金を菓子パンに費やし、自転車に乗りながらパンを食べる。帰宅したら夕飯を食べて
トイレに吐く。母にトイレで吐いてることがばれたとき、とてつもなく怒られた記憶がある。
そこからさらにお風呂にはくようになってしまう。ばれないだろうと思いお風呂で吐いていたが、結局排水がつまって母にはバレてさらに怒られた。なんでこんなことをするのか
母には理解できなかったと思う。まさしくそんなことをしてしまう私の中には摂食障害の病気が生きていた。高校生で経験した摂食障害はここでいったん治まる。
でも、摂食障害の根本は私の中からは消えていなかった。わたしは再び摂食障害
呼び起こしてしまう。