生きづらいよね人生

摂食障害と双極性障害と一緒に生きています

氷点

さいころから好きな本がある。
三浦綾子著「氷点上・下」だ。子供のころ、教会(プロテスタント)に通っていたからか
三浦綾子の本が身近にある環境だった。氷点が愛読書の中学生がほかにもいるのだろうか。
三浦綾子作品の中でとくに「塩苅峠」については、自分の身を投げ出して止まらない電車を止めたお話で自己犠牲の精神がキリスト教の教えに通じているものがあったためよく聞かされた。
三浦綾子の著書のなかでも‘原罪’が主題となっている氷点はわたしの愛読書だった。
氷点という言葉を作品のタイトルにしている点もわたしの中ではお気に入りポイントだ。
氷点は娘を殺された夫婦が、娘を殺した犯人の子を育てるという、なかなか考えられない状況が描かれている物語だ。
汝の敵を愛せよという言うは易く行うは難しな7文字の言葉をキーワードにストーリーは展開していく。わたしが好きなのは、犯人の子としてもらわれてきた女の子、陽子の考え方や生き方、立ち振る舞いだ。どんなに嫌なことがあっても、犯人の子と知って冷たく接する母に対しても決して負けない。人のことを嫌わない。なにがあっても、それにはなにかわけがあるのだと考える陽子。そんな子供実際にいるのだろうかと思うが、そういう生き方をしている陽子を自分と重ねながら、読み進める。犯人の子として引き取られ、育てられる陽子、
健気にそしてたくましく生きる陽子が好きで何回も読み返した。
ちょうど今現在も氷点・下を読んでいるところだ。日々生きていていろいろ考えることがあると氷点を読みたくなる。いままさに陽子に励まされたくて読み返している。

結構ヘビーな内容ではあるけれど、個人的にはそこまでドロドロしているとも思わないし読み始めると舞台になっている北海道の情景が目に浮かぶような文章だと思う。
読んだことがない人はぜひ読んでもらいたい作品のひとつ。

わたし自身、氷点のあとに出版されている「続氷点」はまだ最後まで読み切ったことがない。
だからいま読んでいる氷点が読み終わったらそのまま「続氷点」を読み始めようと思う。

この文章を書いていてふと、思い出した。氷点を読んで小学校か中学1年のときに
読書感想文を書いたことがあった。28年間生きてきてここで再び氷点についての文章を書くくらいわたしの好きな作品だ。

氷点(上) (角川文庫)

氷点(上) (角川文庫)

氷点(下) (角川文庫)

氷点(下) (角川文庫)

精神科の通院日

昨日、精神科への通院日だった。お財布の中身1500円。病院でもクレジットカードが使えたらいいのになあなんて思いながら、病院へ向かう。そんな風になんでもかんでも
カードで負債をつくるから未来のわたしが困るんだ。
わたしは過去の過食による積み重なる負債がたまりにたまって今、もうどうしようもなくなりつつある。もうどうしようもないかもしれない。過食でお金も信頼も失う未来しか見えない。もはや開き直ったらわたしは強くなる。けれどお金がなかったらこの世の中どうにも生きていけない。もうかれこれ何年間食べて吐いてを繰り返しているんだろう。どれくらいのお金と時間を捨ててきただろう。
怖いから考えないように、計算してしまわないようにしているだけで本当はとてつもないお金と時間を捨てたことはちゃんとわかっている。ただ目を背けているだけ。ここからどうやったら立ち直れるのか。
誰に話したら助けてもらえるのかわからなくて苦しい。誰も助けてくれないか。
そんな風に思って悩んでいるひとがどれだけいるだろう。
病院に行っても本当の心の毒を話すことができない。髪の毛切った?雰囲気前と違うねなんて優しく話しかけてくれる看護師さんにも本当の自分を見せたら嫌われるかもと思うと
自分が本当に苦しいこともつらいことも言えないし見せられなくなる。
誰にでもいい顔しようと八方美人でいようとしてしまう。
なんでいい人ぶってしまうんだろう。別に嫌われたっていいじゃないか。
一生涯いっしょにいる人じゃないのに、今そのときたまたまそこで居合わせただけなのに
いい人の仮面をかぶってわたしは接してしまう。
医者にも本当のことを話せないまま診察が終わる。なんのために病院に来ているのだろうと自問自答。
本当に自分は奥の奥に追いやって、しまいこんで、普通の人を演じながら生きている。
仮面をいつかはずすことができるのか。できたら生きやすくなるのかわからないけど
生きづらい人が生きやすくなってほしい。
食べて吐いても、毎日消えたくなっても、どんな人でも生きてるだけでえらいよね。

あと10円足りない人生

たくさんの人が見てるわけじゃないのは
わかっているけれど尋ねかけさせてください。
みなさま、どんな連休を過ごしたでしょうか。

わたしは同棲生活スタートのため、
自分のアパートの掃除をし、新居の掃除をし
毎日掃除と片付けをする毎日でした。

今日、350円握りしめて近くの温泉へ行ったら
100円だと思っていた硬貨は50円玉で
もっていたのは300円でした。
車に戻ってかき集めた小銭は320円。
温泉に入るには330円必要。
あと10円されど10円。10円って大事だなあ。
こういうときしみじみ感じます。

日頃、過食してしまう食べ物を買う時は10円のありがたみなんてなにも気にせず、なんなら持っているお金以上のものをカゴに詰め、わたしのものではないお金でトイレに流してしまう食べ物たちを買う。
カゴに食べ物を詰める私はもはや人ではない
理性の欠けらも無い野生の動物みたい。
あとで吐き出すこともわかっているけど
ひたすらつめこんでしまう、誰にも止められない。


誰かに見られてたらどうしよう。
職場の人に大量の菓子パンやお菓子を買っているところを見られていたらどうしよう。
そんなことを考えながらレジへ行く。


それでも食べることを、身体の中に食べ物を詰め込むことをわたしはやめられない。
誰にも止められない。自分でも止められないのだから。

過食でたくさんほんとにたくさん色んなものを
無くしてきたし、自分から離れていったものも人もある。でもそうやって生きてきたのもわたしで
いま生きている私をそのことですらも作っている。

わたしのすべてが過食じゃないし
双極性障害じゃない。過食なんか知らなかったら
もっと楽しく明るく生きていたかもしれないけど
過食を通ったからわかったことも苦しさもわかる。
同じように辛い、生きづらい人の気持ちに
少しでも寄り添うことができるとおもう。
せっかくだから一緒に生きている過食も双極性障害
だれか苦しい人のためになにかできたら、
気持ちによりそうだけで楽になるなら
話を聞くだけで楽になれるならそんな人になりたい。

そんなことを考えているけどなかなか
どうやったら具体的に行動できるかわからず
悩む日々です。


生きたくない今日も明日も、
勝手に来てしまうから、がんばらなくていい。
ただ居てくれるだけでありがとう。

なんでも完璧にやりたい

f:id:a8412015:20210430134958j:plain先日、実家に弾丸で帰った時に母からわたしは小さい時からなんでもとことんコツコツやる子だったといわれた。そういうストイックすぎる性格だから、双極性障害になってしまったのではと。母の職場にいる人の子供が全然自転車の練習をしなくて一向に乗れるようにならないという話から、わたしに関してはやれと言われなくとも自転車の練習をひとりでもくもくとやっていたそうだ。逆上がりもそう。ひとりで勝手にもくもくと練習をして逆上がりができるようになっていた。逆上がりで何回転もして遊んでいたのは覚えている。
自転車も逆上がりも親が付き添って練習させるというイメージが強いのに、わたしの場合は自発的に練習していたそうだ。
子供は嫌なことはやりたくない、やりたくないことはやらないが許される時期だと思う。
そういう甘えが許される時期にわたしはしっかりやらなければという責任感を感じていたのかそこまでの記憶はないけれど、わたしの〇〇すべき、こうであるべき思想は
幼少期からあったのかもしれない。理想が高いのは、悪いことじゃないと思うけれど
それができないとダメ、意味がないという思想は自分自身が苦しくなる。
なんでも完璧にこなすことはできないことを受け入れられるようになったのは最近で
ここまででもいいんだ。全部できなくてもいいんだ。そう思えたら少しだけ生きづらさが消えた気がする。周りの要因もたくさんあるけれど、自分自身で生きづらさの原因をつくってしまっていた。それに気付けるだけでなにかが変わるかもしれない。
他人には思えるやさしい気持ちを少しだけ自分にも向けられるようになりたい。

今話題のHSP

最近よく聞く繊細さん、HSPという言葉。
わたしも少し当てはまることがあるなと思って気になる言葉。
人の顔色をうかがいすぎたり、今この人機嫌が悪いなと思うと話しかけられなかったり
日常生活の中でたびたびなんでこんなに気にしちゃうんだろうと思うことがたくさんある。
とくに仕事中は上司の機嫌が悪そうだなと思うと普段は聞ける質問がいまは聞きづらいなあと思いその作業は手が止まってしまったり、なにかと困ることがある。
おうちで嫌なことがあったのか、子供の世話が大変なのか、わたしがなにかしてしまったのかと考え込んでは落ち込む。自分のモチベーションも下がる。自分のせいでない可能性のほうが高いのに自分のせいだと思い込み落ち込む。負のループに迷い込む。
周りの人の感情を感じ取りすぎてしまって苦しい。それを自分のせいなのではないかと不安になることが苦しい。繊細さんは生きるのが苦しい。
最近とくに思うのが運転しているときの右折のタイミングだ。あまり焦って直進車とぶつかりそうになったりスピードをゆるめてもらうのは気がひけるし危ない。
でも後ろの人が焦っているとなんでいま曲がらないんだと思われそうで怖い。
前からも後ろからもプレッシャーを感じて結局全然曲がれず、赤信号ぎりぎりで曲がることが多々ある。後ろの車のひとごめんねと思いながらも、こればっかりは事故につながるから仕方ないよねとなんとか気持ちを納得させる。
右折のタイミングってむずかしくないですか?
運転ってとてもとても気を遣うから繊細さんは運転するだけですごく疲れると思う。
繊細さんが生きやすい世の中になってほしい。



みんながんばって生きていてえらいな。人の顔色気にしながらも働いていてえらいな。
今日を生きているみんなが尊い
尊いみんなが生きていて消えたくても生きてて生きるしかなくて、いてくれてありがとうと思うから、わたしももう少しがんばろうかな。

高校生のわたし

最初の記事に書いたとおり、摂食障害という病気の存在とわたしの出会いは
中学生だった。それはわたしと病気の存在がただ出会っただけの他人事だった。
自分の中に病気が入ってくるとはみじんも思っていなかった。
私の中に摂食障害が入ってきたのは高校1年生の冬ごろだったと思う。
きっかけは好きな人に裏であいつ足太いよなと言われていたことだった。
なにがその人にとってのトリガーになるかはわからない。その言葉がわたしの中に摂食障害を呼び込んだのは間違いない。
わたしのことを足が太いといった人とわたしはすぐ付き合うこととなる。ひどいことを言われても、それでも好きだった。私の心はしっかり恋をしていた。
足が太いことは自分でもなんとなく気にはなっていたことだった。コンプレックスだった。
でも、めちゃくちゃ太いわけじゃないし、まあ大丈夫くらいにはおもっていた。
それがあの言葉でわたしの意識は180度変わった。このままではいけないと思い、
毎日食べていた朝ごはんを味噌汁だけにしたり、母に作ってもらっていたお弁当も野菜だけ食べてあとは残して捨てたり飼っていた犬にあげたりしていた。
夜ご飯もごはんの量を極端に少なくしたり、少し遅く帰る日はもう食べてきたと言ったり
どうにか食べ物をとらないよう異常なくらい、自分ルールをつくっていた。
1週間ほどそんな生活をしていると体重は軽くなっていき、毎日体重計に乗ることが楽しかった。おなかの出っ張っていて嫌いだった部分も、足も少しは細くなった。
毎日高校までは40分ほど自転車をこいで登下校していたので確実に一日の消費カロリーをまかなえない食事量しかとっていなかった。さらには、陸上部にも所属していたので練習もあり、そこでも必死に動いてなんとか体重を落とそうとしていた。
痩せなきゃ!!っていうよりかは、毎日ちょっとずつ減っていく数字が楽しみだったのかもしれない。このときは42キロくらいまでで体重の減少はストップした。食べてないから当たり前なのだが、便秘に悩まされ、おなかが痛くなって母に胃腸内科へ連れていかれた。
そこで、痩せすぎですねと言われた。あまり鮮明には覚えていないが、胃腸内科へ行ったあとぐらいからは母に便秘に効くという飲む温泉に連れていってもらったり、消化にいいものを作ってもらった。母にはとても心配をかけたと思う。毎日ちゃんとお弁当も持たせて食べているはずなのにどんどん痩せていく私をみてなにを思っていたのだろう。
拒食が終わったら今度は食べたい衝動が抑えられなくなった。持ち合わせているわずかなお金を菓子パンに費やし、自転車に乗りながらパンを食べる。帰宅したら夕飯を食べて
トイレに吐く。母にトイレで吐いてることがばれたとき、とてつもなく怒られた記憶がある。
そこからさらにお風呂にはくようになってしまう。ばれないだろうと思いお風呂で吐いていたが、結局排水がつまって母にはバレてさらに怒られた。なんでこんなことをするのか
母には理解できなかったと思う。まさしくそんなことをしてしまう私の中には摂食障害の病気が生きていた。高校生で経験した摂食障害はここでいったん治まる。
でも、摂食障害の根本は私の中からは消えていなかった。わたしは再び摂食障害
呼び起こしてしまう。

生きづらさ

こんにちは。

住民票を取りに市役所へ行ったら

桜が満開。風が強いのですぐに散ってしまいそうです。

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こんな天気とは裏腹、わたしの頭の中は

食べることに支配されました。

ここのところ、少しでも心に負担がかかると

食べることをやめられないのです。

いい時期があると悪い時期がやってきますね。

わたしの摂食障害体験についてはまた

別で詳しく書きたいと思っています。


わたしの目にも職場にいるあの人は

普通に仕事をしているように見える。

なにも心に病気を持ってないように見える。

それは周りから見たわたしもそうなのかもしれない。そういうなんとなく心の病気や

精神疾患既往歴はオープンにしづらい世の中だから、苦しいけど普通の振りをして毎日

生きている。

死にたい人が生きてたくない人が平気なフリをして毎日を生きることがどれだけ大変か。


すぐそこのあの人も実は苦しい1人かもしれない。生きづらい1人かもしれない。

誰しも心が苦しい、生きづらくなる今の世の中だからこそ、少しだけ優しい気持ちを持つことは出来ないですかね。


うつ病でしたというだけで

不採用になる会社、あの人病んだから

ここの部署に来たんだってと噂する人達。


なぜ身体の病気や怪我は優しく

心配してもらえるのに心になった途端

ダメなのでしょう。見えないから?


わたし自身が今も職場に病気について

話をすることができません。

それはわたしの中でもカミングアウトすることで今までとは対応が変わってしまうのでは無いかという心配や不安があるからです。

普通の振りをして生活すること自体も負担になるときもあります。

もっと心の病気に優しい世界になることを

望みます。